全身の疲労感、いや倦怠感だろうか。
それと微かな寒気と重い頭。


「政宗様、お加減は…」
「…良いわけあるか」


蒲団に横になったままで答えれば小十郎は真面目にそうですかと答える。
普段ならともかくこういう時にその忠義はあまり好ましくなかった。


「俺のことはいいからもう行け」
「しかし…」
「寝てりゃ治る、いつものことだ」
「…では人払いをしておきます故、充分にご静養ください」


小十郎が去ると部屋は急に静かになる。
自分にはこうして、時の流れの中でふと体が倦怠感を纏う時期がある。
続けて訪れるのは北の風のような冷気。
それが来ると何も出来なくなる。
どこか風邪にも似たそれは、風邪よりも酷く重い。

それが何なのかはよくわかっていた。
幼い頃に心を抉り取られたその疵の痛み。
与えられなかったいろんな物を求め傷つくだけ傷ついた、過去。
癒す方法はその痛みが過ぎ去るまで待つなどと、己らしくもない方法しかない。
その間ただただ沈んでいく体と心に耐え続ける。
もう慣れた、と他人には言ってはみる。
だが実際それは決して慣れる感覚ではない。
だからこそ、こうして寝込むはめになる。
それはきっと近しい者にはきっとわかっているのだろう。

じわりじわりと重い頭によぎる、痛みしか生まない記憶にただ耐える。
辛くないとは言わないが酷く滅入る。
こんなことをしている時間などないのに。
早く時が過ぎれとも、過ぎるなとも思う。
本当に、らしくなくて嫌になる。
何も考えないように目を閉じ、暗い波が過ぎるのを待つ。
暗闇の中は記憶を次々と蘇らせる。
それでも悪夢に比べればマシだと、眠らないように強く瞼を閉じる。















ふ、と温かい風の流れる気配と共に頬に触れたわずかな感触。
一体何だと、頬の物を手にとりながら目を開く。
外からの光が目映い、その中に一片の桜色が目に映る。


「桜の、花…?」


それはまごう事なき桜の花弁で、だがここは室内だ。
まさか幻覚まで見え出したのかと思った矢先、頭の上からやけに明るい声がした。


「よ、政宗。起きた?」


間違えるわけのない、その声。


「慶次…お前何でここに」


体を起こながら声の主を確認する。
行儀悪く座りながら笑う姿は傾奇者というよりは悪戯好きの子供に近い男、前田慶次がそこにいた。
前田の者でありながらこんなところまでやってくる姿は普通ならばありえない。
最も前田慶次は表面上は遠方からの客人ではあるが実際は本人は否定するだろうが愛人に近い。
だからこその待遇であることを知らず、慶次は頻繁にやってくる。
しかしいくらお気に入りとはいえ、あの小十郎が人払いをすると言った以上そう易々と入れるわけがない。
もしくは今の状態をわかっていてわざわざ入れたか…まぁここにいる以上どちらでもいいことだ。


「奥州に花見にいい所があるっていうからさ、仲間内で花見ついでにお前を誘いに来たんだ。
そしたら小十郎さんにお前が寝込んでるから花見は無理だって聞いてさ、
色々世話になってるし聞いたからにはほっとくわけにはいかなくて…それより見てくれよこれ、凄いだろ!」


要領を得ない説明はともかく、言われて周りを見渡すとおびただしい数の桜の花弁が部屋の床を敷き詰めている。
慶次は懐から舞扇を取り出し開いた扇に花弁をいくらか乗せ天に向かって大きく扇いだ。
すると今木から散ったかのように花弁がゆらゆらと上から降り注ぐ。
その様子を見て嬉しそうに笑いながら凄いだろ、と慶次は繰り返した。


「どうしたんだこれ…」
「小十郎さんに大きい布借りて桜の木の下で散ってる桜を集めたんだ」


こうやって、と布を腰の位置で大きく広げる仕草をしながら慶次が答える。
振ってくる花弁をそこに溜めた、と言うのだろうか。
そうだとしてもかなりの数になる、大体そのやり方では時間もかかるはずだ。
慶次が話を続ける。


「ずっと屋敷の中にいたって退屈だろ?
流石に外に連れ出すのは悪いって言うか小十郎さんに殺されかねないし、
でもお前と花見もしたかったからさ、だったら花に来てもらうしかないだろ?
木を折るのは粋じゃないからこうしたんだけど結構いいもんだろ?」


と、笑いながらまた花弁を宙に舞わせる。
ふわり、ゆらりと舞うそれに一瞬目を奪われる。
そしてその向こうで穏やかに笑う、慶次。
それは疲れだとか後悔だとかはまったくない、ただ桜を楽しむ者の顔だった。

それを見て、考えるのを止めた。


「…こんなにして、後で小十郎に説教くらうぞお前」


部屋に散る花弁は確かに舞わせれば華やかではあるが落ちれば粋でも何でも無い。
何より主の部屋で勝手なことをする慶次を小十郎が良く思うわけはない。
慶次もそう想ったのは困ったような顔をして頭を書き出した。


「あー、そうだよなぁ…下手すりゃ片付けろって言われるよなきっと。
…って俺だけ怒られるのかよ!?」
「そりゃそうだろ」


お前が勝手にしたことだろうが、と言えば慶次がむっとする。


「何だよそれ…せっかくお前のために仲間内の花見抜けてまで来たってのに」
「俺の、ために?」


てっきり仲間内の花見を終えてから来たのかと思っていた。
そう思って聞き返すと慶次はばつの悪そうな顔をしてぼそぼそと答える。


「い、いや…風邪引いてる時って、なんか寂しいだろ?
俺の場合は利やまつ姉ちゃんが凄い心配して一緒にいてくれるけどさ、
お前人払いまでしてるって言うから…俺だったら寂しいと思って。
いやでもしばらくは皆と飲んでたんだぞ?
まぁ途中からは集めるのに夢中になってたしそれからすぐこっち来たけどさ…」


言い訳めいたことを言う慶次を他所に、その情景を想い描く。

満開の桜の下、親しい仲間内の輪から離れ、
部屋を埋め尽くすほどの花弁を、ただ集めようと布を広げる慶次。
長い時間立ち続け、楽しいはずの宴会の輪から抜け、ただひたすら待つ。
だが決してそれは苦痛ではなく、それを見た者の反応を想い描いて、桜を見上げながら華やかに笑う。

想像に容易いその光景は、言葉にするならば『愛しい』と感じるのだろう。
気がつくと倦怠感や寒気は花弁を運ぶ風に行き場を失くして去っていた。


「…慶次」
「何だ?」
「Thanks. I appreciate it」


呟くような声で言うと聞き取れなかったのか慶次が首を傾げる。


「何て言ったんだ?」
「さあな。さて花見でもするか」
「もう外に出て大丈夫なのか?」
「何言ってんだ、花はここにあるんだろ?」
「あ、そっか。じゃあ俺小十郎さんに酒もらってくる!」


そう言うと意気揚揚と部屋を飛び出した。
小十郎に酒をもらいに行けば様子はどうだったかと聞かれるだろう。
慶次は大丈夫だと伝えそうならばそれを小十郎は確認しに来る。
そして部屋の現状を見て…と想像して笑う。
そこまで考えていない慶次の迂闊さは見ていて飽きない。

だがふと気づく。

考えないんじゃない。
そうなっても、きっと、俺と飲みたかったからだ、と言う。
慶次はそのためにこの屋敷を訪ね、そして花弁を集めた。
苦痛でも何でもない、ただしたかったからだ、と。
そんな慶次の表も裏もないその笑顔に、酷く焦がれていた己に気づく。
そして望んだものを、慶次は花弁と共に届けてきた。

湧き上がるのは、とめどない愛しさ。

花弁を手に取り、口づける。


「…Thanks. I appreciate it」


『ありがとう、感謝する』
己にはその気持ちを素直に言うほどのまっすぐさは慶次のようにはない。
だからその想いを、花弁に込める。



いつか慶次が望んだ時に、同じように届けることの出来るように。