それはある何事もない日の事だった。
ハクメンは浪人街を今まさに発とうとしているところだった。
立ち寄った…と言うほどでもない、ただ何気なしに通りかかっただけともいえる。
だが今までの経験上長居すれば何かしら厄介なことになることが多い。主にこの街を代表する一人の男のせいで。
あまり面倒事には巻き込まれたくはない、そう思って街を後にしようとして不意に足元の気配に気づいた。
「………犬?」
いつから居たのだろうか、ハクメンにじゃれつくように子犬が脚にすりついてきていた。
ハクメンが見ていることに気付いたのか子犬はハクメンを見上げて遊んでほしげに尻尾を振り始めた。
やはり早く立ち去るべきだったようだ。
動物は嫌いではないが…だからと言って全ての動物に寛容なわけではない。
どう追い払おうかと子犬を見ているとふとあることに気づく。
どことなくバングに似ている気がしてならない。
焦茶色の毛並みはバングの髪の色に似ているし顔に大きくバングの傷に似た模様がある。
さすがに両目の色は金ではなかったがそれでもどこか人好きのするような顔はバングを思い出させる。
…まぁ、似ている犬ぐらいいるだろう。ハクメンはそう結論付けた。
「迷って犬ならば後でバング「わん!!」」
の処にでも連れていけばいいか、と続けようとしたハクメンの言葉を遮るように子犬が鳴いた。
そのタイミングにハクメンは何か奇妙なものを感じた。
あまりにタイミングがよすぎると言うか…いやそんなはずはない。
子犬が何かを期待するようにハクメンを見つめているのもおそらくは気のせいだ。
そう思おうとすればするほど気にかかる。
「…バング」
ためしに呟いてみると元気に子犬が鳴いた。
* * * * * * * * * *
どういうわけかハクメンはその犬を連れてきてしまった。
そんなわけがないと思いながらも奇妙な符号が気になってしまう。
子犬はハクメンに臆することもなく、今は部屋の中を興味深げにくるくると走り回っている。
「…バング」
もう一度、確認のために呼んでみると子犬はこちらを振り返り嬉しそうに鳴いて尻尾を振った。
嗚呼、本当に似ているから困る。
ハクメンが頭を抱えているところに子犬がじゃれつきにやってくる。
呼ばれたのだから当然のことではある、が…。
大体動物の類はハクメンの気に気押され早々近づいてくることは少ない。
それは人であっても同じことで…それを踏まえるとやはりその行動がバングと重なってしまう。
まさか本当に…そう考えた矢先、ハクメンの思考を遮る声が響いた。
「ハクメン殿ー!!」
驚いて反応が遅れるハクメンを他所に声の主…バングが部屋に入ってきた。
その姿を確かめてやはり気のせいだったかとハクメンは内心安堵した。
もう少し遅れていたら犬に真面目に話しかけるところだった。
それはバングに…いや誰であろうと見られるわけにはいかない姿だろう。
「手合わせ願いに来たでござるよ………おぉぉぉぉ!?」
ハクメンを他所にバングは子犬を見て声を上げた。
どうしたのかと見てみるとバングは目を輝かせていた。
「か、可愛いでごさるなぁ!!」
嬉しそうに言ったかと思うと慣れた手つきで子犬を抱きあげる。
感嘆の声を上げながら眺めたかと思えばあちこち撫でたり頬ずりまでしている。
子犬も子犬で嫌がるかと思いきややはり嬉しそうに尻尾をぶんぶん振っている。
「おぉぉぉ!!大人しくていい犬でごさるな!!ハクメン殿の犬でござるか!?」
「いや、そういうわけでは」
「拙者も犬とは何かと縁があるでごさるよ。今でこそ忍びとしてと言う事もあるのでござるが幼少の頃からそりゃもう犬は好きで」
「待て人の話を」
「おぉそうだ今度拙者の忍犬もお見せするでごさる!!頭もよくてかっこいい、まるで拙者のような犬で…」
「バング!!」
「わん!!」
大きな声で遮ると今度は言葉に反応して犬が鳴いた。
ハクメンがしまったと思う暇もなくバングが不思議そうに首を傾げた。
犬を飼っていた経験があるのならば犬が鳴く理由について色々と心当たりがあるのだろう。
その中から何故今腕の中で子犬が鳴いたのかを思案しているようだった。
平静を装いながらハクメンは話題を変えようとする。
「貴公は何か用事があったのではないのか…」
「おぉ?そうでござるな。しかし良い犬でござるなぁ…このシシガミ=バングと言えどこのような犬にはなかなか…」
「わんわんっ!!」
やはり言葉を遮って子犬が鳴いた。
嬉しそうに尻尾を振りながら腕の中からバングを見ている。
2度目ともなればいくら何でも気づいてしまう。
「…『バング』?」
確かめるようにバングが呼ぶと子犬が元気よく答える。
ハクメンは頭を抱えたくなった。
そしてバングはと言うと…しばし子犬を見つめた後、急激に顔を赤くさせた。
「ほ、ほほほ本当に、その、な、なかなか、良い犬で、ごごごござるなぁ!」
そう言って子犬をあやすふりをしながら背を向けたがそのせいでかえって耳まで赤いのが見えてしまう。
「いいかバング、貴公は誤解を…」
言いかけたハクメンの言葉をやはり遮るのは子犬だった。
すると後ろから見ていてもわかるぐらいにバングが更に赤くなる。
「そそそそそうだ拙者ちょっと急用を思い出したでござる!!それではハクメン殿失礼させていただくでござるぅぅぅ!!」
そう言いながらバングは子犬をおろしてそそくさと部屋から出て行った。
慌てて呼び止めようとしてもさすが忍者と言うべきか、その姿を追う事は出来なかった。
ハクメンがバングの名をつけた犬を飼っていると誤解されたに違いない。
あの態度では数日はまともに顔を合わせることも出来ないだろう。
それから改めて誤解は解かねばいけないのか…。
そう思うと盛大に溜息をつかざるを得なかった。
そんなハクメンを子犬は不思議そうに見上げるのだった。
* * * * * * * * * *
それから数日。ハクメンの予想とは異なりひょいとバングがやってきた。
すっかりいつものバングで何事かと聞いてみればあっさりと答えが返ってきた。
「飼い主が見つかった…だと?」
「そうでござる」
子犬を膝に抱いて撫でながら語るバングの話とはこうだった。
あれから冷静になって考えてみたが幾日か前に尋ねたときに犬はいなかった。
それから僅かな時間にあそこまで人に慣れさせて名前まで覚えさせることができるだろうか。
覚えのいい犬は確かにいるがまだ子犬である。
この短期間ではさすがに無理なのでは…と言うところに部下との会話で街の子供が犬を探しているとの噂を聞いたのだった。
試しに訊ね特徴を言ってみるとまさにその犬だと言うのだ。
「では何故貴公の名に反応するのだ…?」
「それがでござるが…」
浪人街でバングのことを慕わぬ者はいない、それはその子供もそうだった。
そんな折に拾った子犬、毛並みと言いバングの傷に似た模様といい…その犬にバングと名づけない理由は無かった。
隠れて飼い可愛がること数カ月、親に見つかりなんとか承諾を得たもののその名前に親は驚く。
そして子供に言うのだ、犬にバング様の名前をつけるなんて何て恐れ多い、と。
「まぁ拙者は気にしないのでござるが…」
どうだろうな、とハクメンはあの騒ぎの日を思い出しながら思ったが話の腰を折るのも何だと言葉にはしなかった。
そして子供は仕方なしにありふれた名前をつけて新しい気持ちでその子犬を可愛がった。
子犬は思ったより賢かったらしく、新しい名にもすぐ慣れたのだと言う。
だが困ったことに賢すぎたのだ。
その上バングの名声を聞いた子供が嬉しそうに子犬にも聞いた話を語るものだから昔の名を忘れることもなかった。
その結果、つけられた名とは別にバングと言う言葉に反応する犬になってしまった。
「…ということでござる」
「成程」
聞いてみれば単純な話だ。全てはただの偶然。
たまたま災難にあっただけ………だけと言うには少し面倒なことではあったが。
「なのでこの子犬はちゃんと元の飼い主に届けるでござるよ」
「あぁ、そうするべきだろう」
仕方なしに置いてはいたが扱いに若干困っていたのは事実だ。
その間化け猫だの吸血鬼などにちょっかいを出されなかったのは不幸中の幸いだろう。
そんなことを考えているとバングが照れたように笑っていた。
「いやぁしかし拙者すっかり誤解してしまったでござるよ」
「…私がそのようなことするとでも思っていたのか」
「確かにそう言われればそうなのでござるが…その、そんなことして頂けてたら嬉しいだとか…」
何を言うのかと思わず見返すとバングは自分が口走ったことに気づいて慌てて訂正しだす。
「いや!!違うでござるよ!?そんな、少し残念だとか全っ然思ってないでござる!!」
なんとわかりやすい…誤魔化そうとして誤魔化せない性質なのは重々承知だ。
犬のように思ったのはこういうところもなのだろう。
犬の尾を見るが如くわかりやすく、そして犬のように人好きだ。
そう思うとバングが動物のようだから好んでいるのかそれともバングを好むから動物が嫌いではないのか…答えは出ないことだ。
そんなことを思うハクメンを上手く誤魔化せただろうかと伺い見るバングに知らず笑みが隠せない。
「…新たに飼わずとも、私には犬は間に合っている」
「ほへ?そ、そうなのでござるか?」
「ああ、金色の瞳の大きい犬が一匹…」
ハクメンの言葉の意味に気づいてバングが更に赤くなるのはそれから数秒後だった。