赤い景色がすぅ、と元の景色に戻る。
往壓と同じ漢神使いの男が使っていた鎌が己から出た炎で燃え落ちた。
まだ刺青に似た文様が浮かんだ顔で往壓はそこから珠を拾う。
もう一仕事だ、とでも言いたそうな表情でアビの元へと近づくとアビの名を宿した珠を奪われた時と同じように鳩尾へと押し付ける。
淡い光を放ちながらまるで泥に沈めるようにゆっくりとそれが体へと沈んでいく。
全てが体に埋まるとアビは一度、二度瞬きをして大きく息を吐いた。

「…すまない」

アビが辛うじて発した言葉に往壓は僅かに笑って、さぁ帰ろうぜと皆を促した。





前島聖天。他の者は後の処理にと方々に散る中、アビは大事をとって先に戻っていた。
僅かな時間の事ながら色々あった、と一人考えながら己の手を開いたり閉じたりして感触を確かめているとひょいと往壓が姿を現した。
神出鬼没、と言うべきか居たり居なかったりが読めないとアビは思った。

「調子はどうだ?」
「どう、と言われてもな」

往壓に尋ねられ、アビは僅かに微笑みながら首を傾ぐ。

「いいか悪いかと言われればいつもと変わらない」
「それならいいんだがよ」

アビからしてみればそれが真実ではあるが往壓は曖昧な表情でアビの隣に座った。
往壓にしては大人しい行動に少し様子を見て、何も言わなかったのでアビの方から口を開く。

「気にしているのか?」

何が、と往壓は飄々と返した。
言葉が足りないのはわかっているがどう伝えるべきか、とアビはしばし考えて答える。

「まるで経過を見ているようだ。何か異変が起こるかもしれない、と」
「…まぁ、確かにそうかもしれねぇな。気を悪くしたんなら謝る」
「別にいい。俺もそれは気にしているつもりだ」

言いながらまた自分の手を見る。
別段変わったところはない、が、何が起こるかわからないのも事実だった。
そんな様子を見て往壓が尋ねる。

「こんなこと聞くのは野暮かもしれねぇが…どんな感じだった?」

何が、と今度はアビが返した。往壓と違って至極真面目にだが。

「名を奪われたことだ」

聞きにくいことをあっさりと聞かれ、アビは眉を寄せた。
思い出すのは幾分か不快だが聞かれたからには答える以外無い。

「…何かが、無くなった感じはした」
「まぁ確かにそうだからな」
「何をされたのか一瞬わからなかった。動こうと思ったが体が重かったのを覚えている。
そうだな…自分を動かそうとしていたのにその自分がわからなくなった、と言うべきか…」

名を失うのは自分を失うのに近い…とはあの男の談だっただろうか。
動かぬ体で聞こえていた言葉が真実だとしたらあの時自分は自分を失っていたのだろう。
そしてそれは言葉以上に、空虚で恐ろしいことだったとアビは思う。

「なるほど」
「それを聞いてどうする気だ?」
「別にどうもしねぇよ。…少し、気になっただけだ」

危うく同じように奪われかけたからだろうか、アビはそう考えたがどうも違う。
往壓の行動は何かを確かめるようにも見える。

「あんたも自分を無くしたことがあるのか」
「無くすほど大層なもの持っちゃいねぇよ」

すっと往壓が立ち上がる。聞かれたくないことだったのだろうか、と思うような速さだった。

「それじゃあ他が戻ってくる前に退散するか」
「もう行くのか?」
「これだけ渡そうと思って来たんだよ」

そう言って正面から何かをアビにかけた。
深い色をした羽織だった。蝶の絵が描いてあるが女性のものというわけでもなく(何せアビの体の大きさに合っているのだから女には大きすぎるだろう)多少使われた形跡があるもののいいものだった。

「念のため、だな。まだ寒いんだ、体を冷やすなよ」

そういつものようにじゃあなと笑って、邪魔したなと往壓は背を向けた。
わずかに上げた手の火傷に気付いてアビはハッとする。
漢神の力を借りたとは言え炎は炎、その身に何事も無いわけがない。
なのにアビを心配して治療を後にしてここに来た往壓をアビは咄嗟に引き止めようとした。
が、アビにはそれを引き止める理由が無い。他の怪我ならまだしも火傷では治し方も違う。
共に行く、などと言えば断られるだろう。大丈夫だからお前は休んでいろ、と笑って言うに決まっている。
だからアビは何も言わず、遠ざかる背を見つめながら…あの時元閥の肩を借りながら見ていたことを思い出す。
武器を手放した男に組み伏せられたあの時程アビは思うように動かない体を悔やんだことはない。
体さえ動けば名を奪われた時と同じように身を呈して守っただろう。
…結局同じように名を奪われる結果になっていただろうが、犠牲が増えるよりはいい、と思う。
それは仲間が同じ目に会うのを危惧して、もあるが…個人的に、往壓が同じように名を奪われた姿など見たくなかったのもある。
飄々としながらもどこか芯のあるこの男を、往壓を、どう思っているのかそのとき微かに気付いた。

だがまだそれは、言葉にするには遠い。
眼前の遠ざかる姿と同じようだとアビはぼんやりと思いながらそれを見送った。