その日俺は食材を得るために山へと入っていて前島昇天に戻ってくる頃にはもうすっかり日が暮れていた。
妖夷の肉に合うのではないかと思っていた山菜の採れる時期、念のため多めにとは思ったが少し長居しすぎた感はいなめない。
とは言えあらかじめ遅くなると伝えていたのだから誰もいないと思っていたそこにうつらうつらとしている往壓さんの姿を見かけた時驚くと同時に声をかけずにいられなかった。
「往壓さん」
「ん…アビか…?」
「…こんな所で寝ると風邪ひきますよ」
「あぁ、そうだな…」
言葉尻からすると待っていた、と言うわけではないのだろう。
それに少しがっかりしながらも無防備な姿に俺はどこか笑みが隠せなかった。
立ち上がろうとした往壓さんの体が大きく傾いた。
慌ててそれを支えるとその拍子にふわりと酒の香がした。
足元を見てみれば酒瓶が転がっていた、それもかなりの量の。
「どれだけ飲んだんですか?」
「そんなには…元閥と潰し合っただけだ」
「それは…」
どう考えても飲みすぎ以外の何者でもないだろう。
あまり飲まぬ自分からしてみれば元閥はまるで水を飲むかのように飲む。
酒を飲むこと自体好きなようで何も知らずにそれに付き合った放三郎が散々な目に合ったと愚痴を零したこともあった。
それを相手に潰しあうのだから…想像しただけで酔ってきそうだ。
「眠い…」
この様子では長屋までは帰れないだろう。
こんな時泊まる事も出来るようにと準備されていることがありがたく感じる。
「床まで運びましょうか」
「そうだな…そうしてくれるとありがたい」
俺に支えられながらも弱々しく笑う姿を見ながら体を鍛えていてよかったと思った。
床に横にしてはみたが往壓さんは気分が悪いのかあぁとかうぅとか声を漏らしている。
どうも見ていられなくて声をかける。
「大丈夫ですか?水は?」
「あぁ…くれ」
刺激を与えないように気を払いながら水を湯飲みに注いでくる。
背を支えながら体を起こすがかなり酔いが悪くまわっているのか水の入った湯飲みを渡す時すら往壓さんはこちらを見はしなかった。
しかし何故この人のそんな細かい仕草が何故気になるのだろう。
水を飲もうと湯飲みに寄せる唇に魅入られそうになり慌てて目を反らす。
往壓さんが一口水を飲み息をつくのに合わせてこちらもようやく息をつけた。
そしてやはりこちらを見ずに湯飲みを渡される。
「少し楽になった…すまねぇな雲七…、っ!」
往壓さんの口から出た言葉に驚いたのは自分だけではなかったようだ。
あ、と自分の口を抑え己を戒めるかのように眉根を寄せた。
そして俺がいることを思い出したのかすまなさそうに見上げてきた。
目が潤んでいるように見えるのは酔いのせいだろうか。
「…悪い」
「いえ」
申し訳なさそうに言われればそう言うしかない。
無意識に出た言葉だとわかっているし、それを責めるのは筋違いだと云うこともわかる。
それでも妙な不快感が胸に渦巻いている。
そんなことでこんなふうに謝られるのは…どうも気に入らない。
そんな気持ちを誤魔化すように他愛もない話題を振る。
「酒、強いんですね」
「あぁ…まぁ、それなりに経験の賜物、かな。
しっかしさすがに今日は飲みすぎた」
まだ酔いが残っているのか珍しく饒舌だと思った。
見たことのない姿を見ることが出来るのは嬉しい。
くすくすと何かを思い出しながら笑う姿を見ていると酒の力に感謝すらしたくなる。
俺も釣られて饒舌になる。
「しかし元閥に合わせることは…あいつはかなり強い」
「向こうから持ちかけてきたんだ。どっちが強いか、ってな。
途中で酒が尽きたせいで決着はつかなかったのが残念だ」
「これだけ酔っておきながら何を言うんだか…普段もこんな無茶な飲み方を?」
「ん…自分じゃよくわからんがそうかもな。よく言われた。
こんな無茶な飲み方じゃいつか体を壊すってな」
歳に合わぬ無邪気な笑顔でその思い出を楽しそうに語る姿はその相手が誰であるかなど容易に想像させて俺を黙らせた。
そんなことは知らずに語るその頬が仄かに赤いことすら酔いのせいではないのではないかと邪推させる。
俺のなかの何かがちくちくと痛めつけられている。
「おかげでこの歳になってもこんな飲み方しかろくに知らない」
「…違うな」
不意に口をついて出た言葉に往壓さんは驚いたように俺を見る。
一度ついて出た言葉は止まることを知らない。
「あんたは無茶な飲み方をして、こうして誰かに構われたかったんじゃないんですか?」
気がつくとそんなことを口走っていた。
「本当は誰かではなく特定の相手に自分を見てもらいたくて、そのために無茶をして心配させてまんまと自分の方を見てくれたと悦に浸りたくて、それでいて自分のせいではない、嫌ならばほっておけばいいと…まるで子供が駄々を捏ねるかのようなやり方で。そんなずるいやり方に味を占めて、それが今まで抜けきれていない。
俺にはそんな風にしか見えませんけどね」
その時何を思っていたのかはよく覚えていない。
ただ少し気にいらなくて、思うままに喋っていた。
苛立ちに任せてその思いを露にしていると往壓さんの口から小さくため息が漏れた。
「…まったくだ」
そうぽつりと呟いた声が微かに震えていたのに気づきはっと我に帰る。
自嘲するかの様に笑ってはいるが目は笑ってなどいない。
何かを諦めたかのような、酷く寂しげな目だった。
何か言わなければと焦る気持ちとは裏腹に言葉は出なかった。
先ほどまでは言わなくていい事まで出てしまうほどだったのに。
「もう寝る。手間かけさせたな」
「往壓さ…」
「もう大丈夫だから、構わなくていい」
早口にそう告げられ床に潜り込まれれば何も言うことは出来ない。
せめて顔だけでもと思うが顔まで隠された。
触れてはいけないところに触れてしまったのだとようやく気づいた。
仕方なしに見てはいないだろうが軽く頭をさげて逃げるように部屋を出た。
あの人が何より自分のことを知るのを嫌っていることは知っているはずだった。
己の浅ましさが何より嫌いだとその口から忌々しげに吐かれた事だって知っていたのに。
あんな顔させたかったわけじゃないのに。
「何やっているんだ…」
一人毒づいて俺は自分の迂闊さを後悔した。