その日の俺は酷く気紛れだったようで酒を片手に蛮社改所にやって来た。
何だかんだと飯の世話になっているから礼代わりに酒会でもしたくなった、と言うのは建て前で要は飲みたかっただけだ。
そう思って来てみれば随分と静かなものだった。
そりゃそうだ、皆がここに住んでいるわけでもなし、まして約束したわけでもない。
己の間の悪さを悔やむと同時にこの酒をどうしようかと途方にくれた時だった。
大きな影が見えたと思ったと同時に相手も気配を察したのか顔を上げた。
俺に気づいて驚く顔を見てなんだかほっとした。
ここ数日で随分一人でいることが怖くなったものだなと自嘲してしまうほどに。
「何だアビ一人か?」
見るとアビは料理に使うあの大きな鍋の手入れをしていた。
今日は特に使ってはいなかったはずだがそういうものなのかもしれない。
「えぇ…往壓さん何か用でも」
「用ってほどでもないんだがな…」
言いながら脇にさげていた酒瓶を見せる。
「安い酒だが、飲むか?」
とりあえず部屋に入り、俺が持参したふちのかけた安い杯に酒を注ぎあい飲み干す。
飲み干すと熱い液体が体を通っていく感覚が心地良い。
それにアビが簡単に作ってくれた肴が酒によく合っていて酒がよく進んだ。
暫く会話もなく飲み続けながらわざわざ作ってくれたのだから礼ぐらいはと頭を過ぎった。
そう思ってアビを見てみると手を止めて俺が酒を飲む姿を見ていたらしく正面から目が合う。
「飲みなれてますね」
「まぁこんな歳になればそれなりにな。
食に道楽がない分これなら味はともかく酔いは来る。
だから他より多少は楽しみになるってことだ」
なにより余計なこと考えたくない時にはこれに限る。
酔いさえ来れば色んなことを忘れて笑えた。
そんな逃げにのめり込んでいた事実は否定しようがなかった。
気がつけば飲みなれるほど飲んでいて、それなりに酒に強くなった。
まぁそんなことは言わなくてもいい事だ。
それはちょっとした見栄だったのかもしれない。
「なるほど…」
何を関心しているのかわからないが飲まない人間からしてみれば確かに興味深いのだろう。
詮索されないことが心地良くて、礼代わりに酒を注いでやると困ったように笑って礼を言われた。
酒は思ったよりも多かった。まぁ元々数人分で用意したものを二人で飲みきるのはさすがに無理がある。
とは言えこちらはまだまだ本調子だった。酒が強くなって分酔いが遠くなった、そのせいだろう。
アビは早くも酔いが回ってきたようでこれ以上飲むべきか否かと所在無さげに杯を持て余している。
「あまり飲んでいないようだが飲まないのか?」
「いや、俺はそろそろ」
「いいから飲めよ、折角持ってきたんだ」
そう無理に注がれれば断れない性分なのだろう仕方なしに少しずつ飲み干していく。
本当に生真面目だ、とどこかで楽しみながら更に酒を足す。
そういえばこうやって誰かと飲むなんて久々のことだと頭を過ぎる。
相手がいなくなったからだと次いで出た結論がやけに寂しさを思い出させてそれ誤魔化すようにさらに注いだ。
飲み干す姿を見てそういえばあいつが飲む姿はあまり覚えがないな、とか
それはあいつが注いで俺が飲むのが常だったからか、とか
思い出さなくて良い事を次々と思い出して気がつけば自分が飲むことを忘れてアビに酒を飲ませ続けていた。
でもどこかでは長いこと形を潜めていた好奇心がこいつを酔わした姿を見たがっていた。
あいつがいない寂しさを他のもので代用しようと…まぁ、そんなところだろう。
普段を秘めていたそんな最低な考えが酒のせいで出てきたと言うことか、まぁ、今更止められないが。
気がつけば元々多めに持ってきた酒の大半を飲ませていたようで。
酔いを振り払おうとしているのかアビが眉をひそめる回数が増えている。
やはり慣れていないのがおかしくてついくすくすと笑いが零れた。
そんなことで酔いが覚めるものか、と言おうとして止めた。
アビがこちらをじっと見つめていたからだ。それも真剣な、だがいつもとは違う目で。
「…どうした?もう潰れたか?」
「あんた…何故そんな俺を煽る」
酒のことだろうか。確かに飲ませすぎた感はある。
だからと言ってそう怖い顔をされると萎縮してしまう。
こんな風に見つめられたことがないからだろうか、とにかく何も言えなくて俺はただ見つめ返した。
「あんな目をさせたいわけじゃないのに…」
「何のことだ?」
「俺が普段どんな思いで…くそっ」
それほど余裕がないのか敬語すらも忘れて悪態をつくと逃げるように部屋を出ようとして、戸口で止まった。
やはり飲ませすぎただろうか。顔をやけに赤くして静かに立ち尽くすアビを追い顔を覗き込んだ。
瞳がゆらゆらと揺れているのはやはり酔いのせいだろうか。
覗き込んだ俺の顔を俯いたままだがじっと見つめている。
「アビ、どうした?吐くか?」
「往壓さん…」
やっと喋ったかと思ったら急に腕を取られ、その勢いに任せて押し倒される。
その拍子に背中を床に叩きつけられたのか遅れて痛みが走った。
痛みから逃れようと咄嗟にした抵抗は易々と抑えつけられ、俺はただアビを見上げることしか出来なかった。
瞳の奥が燃えているように見えて本能がまずい、逃げろと訴えていた。
つまりは酔いのせいでそういう衝動に駆られたアビに襲われているわけでそれは断じて俺の本意ではない。
だがその一方で酔いのせいとは言え普段の冷静さを無くしているアビの姿は俺の中の欲を惹きつけてる。
俺もどうやら酔ってるらしい。そんなに飲んでいないくせに、一体何にだ?
アビはその体勢から動こうとはしない。どうしたらいいものかと考えているのだろうか。
「…どうした?止めるのか?」
「悪いがそれで俺が止まると思ってるなら筋違いだ。
…自分でも止まりそうにない。逃げるなら今逃げてくれ」
こんな状況でよくもまぁ…。
口には出さないがそこがアビらしさなのだろう。
下手に遊びなれているよりはこの真面目さには好感すら覚える。
不意にどうでもよくなった…と言えばきっと悪く思われるのだろう。
とにかく、アビになら別に構わないような、そんな気がした。
「いいぜ別に」
思わず告げた言葉はアビを存分に驚かせたらしい。
知らず口角が上がるのを感じ、誘うようにアビの首に腕を絡めた。
「往壓さん…」
「こうなるのだって悪くない、そうだろ?」
そう言って口づければ今度こそ理性が飛んだのか後は互いの欲に任せるままだった。
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事が終わってしまえば酔いも完全に覚めてしまったのか二日酔いのせいだけでなくアビが頭を抱えていた。
よっぽど欲に負けてしまったことが許せないのだろう。
その間に濡れる前にとやけに早くに外された下帯を着け、
逆に乱暴に脱がされた衣服を集めて敷物代わりにしたせいでしわになったそれを洗うべきかどうかどうか思案しているとようやく我に帰ったアビがおそるおそる尋ねてくる。
「何故…逃げなかったんですか」
何だ逃げて欲しかったのか、とは言わないでおく。
言ったらおそらくそうだったと言いそうな気がしていた。なら悪いのは煽った俺になる。
止める気配は確かにあったのに止めさせなかったのは俺だ。
だがここまでしておいてそれはそんなのは都合が良すぎる。
いや、俺一人悪人になりたくなかっただけか。実際はその通りだとしても。
「俺は酒飲んで何も考えたくなかっただけだ。だから俺は別に構わなかった。
理性が吹っ飛ぶって意味じゃ酒で酔うのとこれと何処が違うって言うんだ?
アビはまぁ処理したかったわけで俺はどっちでもよかったなら逃げる必要はないだろ?」
「そんな…」
つもりでは、とアビの語尾が消えていく。
その様が体のわりにはやけに小さく見えて苛めてやりたい衝動に駆られた。
「まぁ、お前がこんなことするとは思わなかったけどな」
「す、すみません…」
「謝るなよ。確かにぎりぎりで煽ったのは俺なんだから」
小さくなって謝る姿が少し可哀想に思えたからそう言っても納得は出来ないらしい。
仕方ないなと服を片手にアビに近づきこちらを見た隙に軽く口付ける。
驚くアビに少しでも悪く見えるようにと笑いかける。
「俺はこんな人間なんだよ。軽蔑するなら今のうちだ」
そういい残し服を簡単に羽織って部屋を出た。
どんな顔をしているのかを思うと、何だか笑えたのはきっと残っていた酒のせいだ。
そうきっと酒のせい…あんな言い方をすればアビが嫌うはずないとわかって言った自分の浅ましさが酷く惨めで笑ってるんじゃないと、己に言い聞かせた。