(この話は以前UPした「酔」のアビ視点Verです。
話自体は「酔」の途中までとなっております。ご了承ください)






どうも最近の俺はおかしい。
あの人のことをまともに見つめることすら出来なくて。
いや、出来なくはない。ただ胸の奥でよこしまな想いが渦巻くというだけで。
それがもしあの人を傷つけたらと思うとやりきれない。
一人になれば自然とあの人のことばかりを考えてしまうし、
だからと言ってあの人がいたらいたで考えてしまう、我ながら難儀なものだ。
だからその日余計なことを考えないようにとしなくてもいい鍋の手入れをしていたところにあの人がやってきたときは、嬉しい反面困った。
気配や歩く調子ですぐにわかったが顔をすぐ上げることも出来ずに、向こうがこちらに気づく距離になってようやく顔を上げることが出来た。
俺を見つけた往壓さんの顔はこころなしかほっとしているように見えた。
俺がこんなに黒い思いを抱いているというのに、それでもその顔は俺の心を少し和らげると同時に他の思いを引き起こした。
会いたかったのだろうか、それなら嬉しいがそれはきっと俺ではなく誰かに、だ。
そんなことを思っていると不意に提げていた酒瓶を取り出した。

「安い酒だが、飲むか?」





実を言うと酒はあまり得意ではない。
それでもわざわざ来てくれたのだと思うと断るわけにもいかなかった。
一瞬見せたほっとした顔がどうしても離れなくて一人にさせたくなくて、
少しでもこれで落ち着くのであれば耐えてみようと思った。
しかし…合わせて飲むのは正直困難だった。
再度言うが酒は得意ではないのだ。

「飲みなれてますね」
「まぁこんな歳になればそれなりにな。
食に道楽がない分これなら味はともかく酔いは来る。
だから他より多少は楽しみになるってことだ」
「なるほど…」

そう言われてみればそうなのかもしれない。
食に対する道楽は確かに薄くなった。作ることも、食うことも。
普通に作っていたものをそのまま作っても以前のように上手いとは思えなかった。
妖夷の肉を調理してその味がどうなるか、そんなことばかりだ。
さすがに異界に触れてから長い間を過ごしてきただけあってその言葉は説得力があった。

だが不意に揺らぐ視線はおそらく酔いではなく他のことなのだろう。
往壓さんは誰かが目の前にいてもこうして遠くを見ているときがある。
それが儚くて寂しげでどうしてもほっておけなかった。
そもそものきっかけもそんなところだった。強い視線を生み出す同じ眼がこうも変わるものかと。
遠くを見る、その視線をこちらに向けることが出来たならばと何度思っただろうか。
そんなことを思っていると不意に視線が合い酒を注がれた。
お前も飲めよ、と視線が語っていて少しでもこちらを見たことが嬉しくて何も考えずに飲み干した。

そろそろやめなければ、と何度も思った。
しかし折角持ってきたんだと注がれれば断りきれない。
何を考えているのだろうか。俺なんか飲ませても面白くもないだろうに。
そう思ったのは俺に酒を注ぐ往壓さんがまた遠い目をしたから。
少しでもこちらに意識を向けたくて、飲んだ。
頭がグラグラするほど飲んでようやく飲みすぎたと気づいた。だがもう遅い。
潰れそうになるのを堪えていると往壓さんがくすくすと笑っていた。
こんな顔もするのかと驚く反面それに見惚れた。
他にどんな顔をするのだろうと忘れかけていた黒い思いがまた生まれ始めた。

「…どうした?もう潰れたか?」
「あんた…何故そんな俺を煽る」

考えるより先に言葉が出ていた。
そう、煽られていると思った。
あの遠い目も、かと思えば見たことのない表情をするのも、俺の欲を煽るばかりだ。
今だって、どこか怯えたように見上げてきたかと思えば瞳の奥はまたどこか遠くを見ている。
あぁ、寂しそうだとても。見ているだけでこちらも胸が痛くなるような。
そんなに一人でいたくないならばと触れたくなる。もっと他の顔が見たくなる。もっと、もっと…いろんな顔を。

「あんな目をさせたいわけじゃないのに…」
「何のことだ?」
「俺が普段どんな思いで…くそっ」

欲に振り回されてはいけないと極限で自制を試みる。
それは咄嗟の逃げという形を取ったが歩みが不意に止まる。
今此処に一人にしてはいけないと、思った。
俺を見つけたときのあの顔はきっと誰かを何かを求めていたのだと思う。
それなのに誰も居なくて、ようやく俺を見つけて安心したのだと…そう思いたい。
そんな人を置いていくことは出来なかった。
覗き込んでくる顔をじっと見つめる。
駄目だ、止まりそうにない。

腕を取ると思っていたより細かった。
そのまま押し倒す、床に叩きつけた音がしたが気にする余裕はなかった。
わずかな抵抗もこの体格差ではないに等しい。
それにしても自分の中にこんなに熱いものがあったとは知らなかった。
ただ始めの抵抗以外それらしいことは何もせずにただ俺を見つめる往壓さんに動きが止まる。
何故もっと抵抗しないのだろう。嫌だと、止めろと言われればすぐにでも従うのに。

「…どうした?止めるのか?」

意外そうに言われたのは俺が本気ではないとでも思っているからだろうか。
いや、確かにどこかはそうだったのかもしれない。傷付けたくないのは確かだった。
その一方で拒否されれば従うなどと本当にその通りだろうかと疑う心もある。
迷う思いを振り払いたくて全ての決断を往壓さんに任せた。

「悪いがそれで俺が止まると思ってるなら筋違いだ。
…自分でも止まりそうにない。逃げるなら今逃げてくれ」

言えたのはそこまでだった。あとはただ返事を待つ。
卑怯なやり方だと思った。ここまでしておいて、それはないだろう。
嫌だと抵抗されても押さえつけるだけの力があるのだからこれは公平ではない。
そう言ったところで結局同じなのだからと逆の答えを出せばこれは同意だったと言い訳できる。
本当に、何て卑怯なのだろうか。どちらも同じだと笑われても仕方ない。
だからこそ逃げると言って欲しかった。こんなやり方は好ましくない。だからせめて…。

「いいぜ別に」

往壓さんはそう告げたかと思うとにやりと笑いながら腕を首に絡めてくる。
何故、どうしてと言葉は出なかった。ただ名前を呼ぶことしか。
すると目を細めて簡単なことのように言う。

「こうなるのだって悪くない、そうだろ?」

こんな顔もするのかと思うような、艶やかな笑みだった。
それを見て止まることなど出来なかったのは決して酔いのせいだけではなかったと思う。
ただ誘われるままに俺はその肌へと唇を落とした。